かもだ通りとは

関ヶ原の戦いの後、加治木城に居を構えた島津義弘公は、城下町を整備し、加治木城の前に「蒲生田通(かもだ通り)」を造り、街の発展と子供達の教育に力を注ぎました。

かもだ(蒲生田)一帯は「がま」(蒲)の自生する湿地帯で昔は網掛川の堤防も手薄で冠水したりしていました。またもともと低地でもあり、「がま田」が転じて「蒲生田」といわれるようになりました。

昭和20年代の創業当初の「ササヤマめがね時計店」 背後に見えるのは湯湾岳
昭和30年代の初市の様子

加治木町は、金山の麓にあり、古くは網掛川と港を活かした交易の中心地で、大変栄え、市も毎月開かれ賑わっていました。

かもだ通りは、加治木港に直通する主要な通りとして、商業や交易の中心地でありました。

西郷隆盛は日当山(隼人)へ温泉や狩りに赴くとき、加治木港を利用したそうです。

西南戦争のときの薩軍の出兵に使われた龍門司坂(大河ドラマのロケ地)もかもだ通りの近くにあります。

龍門司坂

恒例の初市は、鹿児島三大市の一つで、大変賑わいます。

現在の初市

また年末には、師走市を開催しています。

現在の師走市
江戸時代中期初期 1670年頃 中央を走る赤い線がかもだ通り 「加治木城下絵図」

※2022年12月現在 初市、師走市はコロナウィルスのまん延防止の為休止しております

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